明智光秀と西教寺

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    明智光秀と西教寺

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戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である明智光秀と西教寺は深い繋がりがあります。 元亀2年(1571)織田信長比叡山焼き討ちの際、西教寺も災禍を被りました。 その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。 光秀は西教寺の檀徒となり、西教寺の復興に大きく力を注ぎました。 総門は坂本城の城門を移築したもので、鐘楼堂に吊るされていた鐘は坂本城の陣鐘と伝わります。 天正10年(1582)にこの世を去った光秀は、その6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに西教寺に祠られています。

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    文化財一覧

    • 01

      宗祖大師殿通用門

    • 02

      宗祖大師殿

    • 03

      宗祖大師殿唐門

    • 04

      宗祖大師殿水屋

    • 05

      本堂前手水舎

    • 06

      納骨堂

    • 07

      正教蔵

    • 08

      本堂

    • 09

      阿弥陀如来坐像

    • 10

      客殿

    • 11

      薬師如来坐像

    • 12

      客殿通用門

    • 13

      観瀾亭

    • 14

      書院

    • 15

      灌頂蔵

    • 16

      御廟

    • 17

      石燈籠

    • 18

      梵鐘

    • 19

      聖観音立像

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